"悩む"ことと"考える"ことの違い
最近の私の課題。
それは、悩む時間を減らして、考える時間を増やすこと。
この前、指導教員に
「お前何悩んでいるんだ?」
と言われて気づいた。
俺は今、悩んでいたのか?
考えていたつもりが、いつの間にか悩みに変わっていた。
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馬鹿と天才は紙一重って言われるけど、
悩むことと考えることも紙一重だと思う。
あくまで私の意見ですが、
悩むことは考えることの一種。
構造的には、"考える"という大きなくくりの中に、"悩む"っていう行為が含まれると思う。
悩むとは、本質とズレたことを考えること。
例えば、
あなたが歌手になってみんなを笑顔にしたい!と思ったとしよう(あくまで仮定です)。
あなたが、
でも、みんなの前でやるのは恥ずかしいし、私は歌下手だし、でもやりたいし。どーしよっ!
って考えるのは悩み。
歌手になるっていう目的とは直接関係ないことを考えてしまっている。
逆にあなたが、
歌手になるためには、まず歌がうまくないとダメだな。そのために毎日トレーニングするか。それと、歌手になった人はどういう風にして歌手になったのだろうか。
と考えることは、悩みじゃないと思う。
歌手になるという目的を達成するために考えている。
別の例えだと、
研究や仕事をやっていく中で、ある課題に直面し、中々前に進まないことがあったとする。
それに対して、
なんでこんなに時間かけているのに進まないんだ
こんなのも出来ないなんて俺ってダメだなあ。
と考えるのは悩み。
そういうことを考えていても、答えは出ない。
苛立ちとか、自信喪失とか別の言い方で表せるかもしれないけど、私はこれらを全てを悩みとして捉える。
逆に、
論理的にはじめから追ってみるか
とか
定量的に議論してみるか
とか
似てる事例を探してみるか
とか
目的を達成するためには、直接その課題を解決出来なくても、別のやり方でなんとかなるのではないか。
と考えることは悩みじゃない。
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人が人である以上、考えられる範囲には限界がある。
だったら、極力悩むことを少なくして、考える時間を増やそう。
ちゃんと考えているときよりも、悩んでいるときの方が100倍疲れると私は感じる。
いけねっ、俺今悩んでたわ。
悩んでいることに気が付くことが、その一歩かなとおもう。
終わり。