minamiiin’s diary

病気を楽しくしたい、そんな夢を叶える冒険記です

役に立つ一言1

先延ばしにしない、やり遂げることが大事。

 

なぜか?

 

それは、どんどん先に進むためである。

 

人生には、踏ん張り所というものがある。

 

どんなにコツコツ積み重ねても、やり遂げなければ、それはやがて時間が経てば崩れ落ちる。

 

最後の一押し、踏ん張ってやり遂げること、完成させること。

 

それが大事だ。

 

そしたら、心置きなく次に進むことができる。

一緒に

お前と語り合った夢は消えないし

 

俺たちの思い出も消えないし

 

お前はこれからも俺の心の中で生き続けるだろう。

 

けど、俺はお前の分まで生きるなんてことは出来ないよ。

 

それはお前がいちばん嫌がるだろ。

 

だったらさ、一緒に夢叶えようぜ。

 

俺もお前がずっとそばにいると思うと心強いんだ。

 

負ける気がしないよ。

 

俺がこれから見る景色、出会う人々、経験する出来事

 

全部お前と一緒だ。

 

ワクワクするね。

泣けばいい

あいつを思い出すと涙が溢れてくる。

 

忘れられない記憶。

 

周りの人は

 

いつまで泣いているんだ

 

っていう目でみるけれど

 

それは、その人がとても大切な人だったという証拠なんだ。

 

みっともなくて良い、周りからなんて思われてもいい、あなたのことをずっと忘れたくないから。忘れられないから。

 

だから、泣くよ。君が肩を叩いてくれるまで。

 

いつまで泣いてるんだよ

 

って言ってくれるまで。

 

 

君は僕で 僕は君で

詩:君は僕で 僕は君で

 

何があっても朝は来るし、ボーッとしていても夜が来る。

 

それなのに、世界の終わりは突然やって来る。

 

僕はそれを受け止めることはできない。

 

君は最高のライバルで、最高の友であった。

 

俺たちの世界には誰も入ってこられない。

 

語り合ったキラキラや、抱きしめ合った優しさと少しの痛み

 

握りしめ合った手の暖かさと勇気が

 

消えない

 

苦しい

 

忘れたくない。

 

俺には、お前がそこに座っているように見える

 

俺に手を振っているように見える

 

またいつものように

 

楽しい時間が始まろうとする。

 

君の姿は見えるのに

 

君の声は、僕の耳には届かない。

 

ただ流れゆく時間の中で

 

僕は一人ぼっち。

 

僕は君を探したけれど、君は出てきてくれないんだ

 

いっぱい泣いたけれど、君は肩をたたいてくれないんだ。

 

俺はお前と話がしたいんだ。

 

語り合いたいんだ。

 

君がいないと生きてる感じがしないんだ。

 

でも君がいると、俺は負ける気がしないんだ。

 

"Have a good day"

 

君は君で 僕は僕で

 

君は僕で 僕は君で

ソウルメイトを定義する

この世界には77億の人が暮らしている。

2030年には85億人、2050年には97億人、2100年には109億人になるともいわれている(World Population Prospects 2019)。

 

私は今日本という国に住んでいる。このブログを読んでいるあなたもきっと日本に住んでいるのかな?

 

日本には大体1億2千万人いてさ、私やあなたはその中の一人。

 

でさ、私たちは普段学校行ったり、会社に行ったり、友達と遊んだり、合コンに行ったり、電車に乗ったり、買い物したり、スポーツしたりしてるでしょ。

 

日々、新しい人と出会う頻度ってどのくらいあるのか考えたことはある?

 

勿論、それは人によって大きく違う。

 

いつも会社、学校、研究室で大体いつも同じメンバーとしか会わないよって人とか、普段から色々な人と話して交流するのが仕事で、毎日新しい出会いがある人だっているだろう。

 

今日はその出会いについて最近感じたことを書こうと思います。

 

私が伝えたいのは、結局人は出会うことに価値を見出すことができるんじゃないかってこと。

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あなたの周りには実に沢山の種類の人がいるでしょう。家族、友達、親友、恋人などなど。ではソウルメイトと呼べる人はいますか?

 

ソウルメイト(Soulmate)っていうのは、日本語でいうと運命の人っていう意味です。人によってその解釈の仕方は色々あるのですが、このソウルメイトっていう言葉を私なり定義してみたいと思います。というのも、私自身初めてソウルメイトと呼べる人ができたからです。私が思うソウルメイトというのは、その人自身が歩んできた人生と相手の歩んできた人生を土台として成り立ち、双方にその人生の価値を与えてくれる、時間と空間を越えた繋がりではないかと思います。人は一人一人全く違う人生を歩んでいます。全く違う人生を歩んでいるからこそ、世界に多様性が生まれます。勿論、多様な考え方があるからこそ、人生に正解なんてありません。私は今まで、人生の正解は自分自身で見つけるものだと思っていました。誰かに「正解!」って言って欲しくて、人生を生きている訳でもありません。人生の正解は自分自身でしか決めることが出来ないだろうと思っていました。たとえ、どんなに他人から認められていなかったとしても自分自身が満足していたらそれで良いのかもしれないし、逆にどんなに周りから成功者と思われていても、自分自身の心が廃れていたらそれは良い人生といえるのだろうかと。

 

でも、私は最近新しい概念に出会いました。それがソウルメイトです。もしあなたの辛い、苦しいと思っていた経験によって、それを分かち合え、心から愛し愛される人が出来たとしたら、その経験はあなたにとって少しはポジティブなものになるとは思いませんか?その経験はあなたの人生とって必要で、価値のあることだと思いませんか?

 

ずっと、一人一人がネガティブなものとして捉えている経験がどうしたら少しはポジティブなものになるのだろうかと考えて、私なりに活動してきました。今、新しい発想が浮かんでそれを練っている最中です。それは一言でいうと、そのネガティブな経験を共有し、それをきっかけとして心から大切な人、愛する人と思えるようなソウルメイトと出会うことのできる世界、そんな世界を創っていきたいということです。

 

おわり。

 

小児病棟でのVR体験会の実施〜医療現場におけるVRの可能性〜

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皆さんは今までに病気に罹って入院したという経験、怪我をして外に出られなかった経験はありますか?「自分はないよ」という方も、友達、家族、恋人などの大切な人を含めるとどうでしょうか。想像してみてください。自分もしくは大切な人が部屋にこもり切りになってしまっている姿を、また病室で退屈そうにしている姿を。そんな状況でも、なんとかして楽しませてあげたい、外の景色を感じて貰いたいと思いませんか?少なくとも私は、自身の数十回の入院体験から、また多くの患者さんと交流することでそのように感じました。入院しているとこんな気持ちが沢山あります。

 

・一日が長く感じる

・何で自分だけこんな目に遭わないといけないんだ・・・

・外に出たい

・学校に行きたい

・治療は痛くてもうやりたくない

・さみしい

・不安

・退屈

・病室から窓の景色を見るのはもう飽きた

 

本当、入院中ってネガティブな気持ちが多いんです。

 

でも私は今、こんな気持ちになっています。

 

”病気”を将来に繋がる良いものにしたい!

 

→私自身「病気さえしなければ今頃は・・・」と何度も思いました。また、幼いことから自分はハンデを背負って生きていかなければならないのだと感じていました。”病気”というものが100%ネガティブなもので、自分の心もどんどん暗くなっている気がしました。何か嫌なことがあるとすぐ病気のせいにしたり、自分の言い訳に使ってしまったりと。でもあるとき、それって凄く悲しいことだと気づいたのです。いくら自分の運命を嘆いてみても、過去を悔しがっても何も起こらないからです。”病気”をすることによって今まで気が付かなかった新しい発見があったり、夢を持つ機会になったりしたら病気というものがネガティブなものではなく、ポジティブなものになると思うのです。

 

ではどうするか?どうしたら病気っていうものがその人自身の将来に繋がる良いものになるか?って考えました。

 

その一つの方法としてVRがあるのだと私は思っています。

 

入院中の患者さんは、窓からしか外の景色を見ることができません。病状によっては病室の中で亡くなってしまう人もいます。実際に、私と同じ病室に入院していたある男の子は小児がんで亡くなってしまいました。VRで色々な世界の体験を提供することは、そういった患者さんに対して「退院したら〜に行ってみたい」、「〜したい」などの夢を提供することにも繋がり、さらに患者さん本人の治療に対するモチベーションの向上も期待出来るのではないかと思いました。

 

みなさん、VRの世界を体験したことはありますか?VRは、見かけ上は現実ではないがその効果あるいは本質的には現実そのものである世界を体験することができます。それにより、実際にそこに行かなくても遠い場所の景色や世界を一種の現実として体験することが可能となるのです。さらにVRによる体験は、今や誰でも安価に購入できる時代になりました。また、教育分野、物件案内、シミュレーション、ゲーム、スポーツ、医療など多様な分野への応用が期待されています。また、団塊世代が全て75歳以上になる2025年問題、団塊ジュニアが65歳以上になる2035年問題に先駆け、高齢者向けのVRの需要はますます加速していくと考えられます。最近話題になっている引きこもり問題の解消の一手としてVRが役立つかもしれません。さらに、遠い場所にリアルタイムで自分を存在させることのできるテレイグジスタンス技術や、身体性メディアの研究が活発に行われています。こういった背景の中で私はVRによる医療への適応、特に人の心理的な影響について考えるようになりました。

 

入院している方々、特に小児患者を対象としてVRで一体何ができるのか?常に模索しているのですが、主に以下の3 つが挙げられると思います。(*現段階では仮説に過ぎません)

 

1. 行きたい場所への旅行体験の提供

→自分の知らなかった景色を見たり、行ってみたかった場所へいったりすることで前向きな思考、楽しさ、コミュニケーション、治療に対するモチベーションを提供することができる。

 

2. 授業の提供

→学校に通えない患者さんに対して、病室の中でも学校の友達と一緒に授業を受けることができる。

 

3. 体験型・治療説明

→痛い治療はやりたくない。また、手術前など何が起こるのか分からないという不安感がある。そこでVRを使って、色々な目線から見た検査や治療の説明をすることが出来る。

 

 

今回は、1. 行きたい場所への旅行体験の提供について実際に行った感想を書こうと思います。

 

ある大学病院の小児病棟でVR旅行体験会を実施しました。スタンドアローン型のOculus Goや低年齢向けのハコスコを使って日本各地(10地点)+ハワイの旅行体験を届けました。

 

自分の体験からこうなんじゃないかっていう一種の仮説があり、実際にやってみて色々なことが見えてきました。

 

当然全部は書けないのですが、一言でいうとVRの価値みたいなものを感じました。

 

感覚的な表現で申し訳ないのですが、VR旅行体験を提供することによって、その場の雰囲気が暖かくなったように感じました。生まれる自然な笑顔や、コミュニケーション、そして旅行体験による心の刺激がそうさせているのかもしれません。ベットの上からでも楽しめるといったところがやはり魅力的だなと感じます。また、色々な場所に興味を持った子が多く、前向きな思考が一瞬ですが生まれた気がしました。VRどうこう関係なく、やはり楽しんで貰えたのが一番嬉しかったですかね。

 

まだまだ、始まったばかりですがVRを使って色々な人に笑顔を届けていければなと思います。

 

おわり。