"悩む"ことと"考える"ことの違い
最近の私の課題。
それは、悩む時間を減らして、考える時間を増やすこと。
この前、指導教員に
「お前何悩んでいるんだ?」
と言われて気づいた。
俺は今、悩んでいたのか?
考えていたつもりが、いつの間にか悩みに変わっていた。
・
・
馬鹿と天才は紙一重って言われるけど、
悩むことと考えることも紙一重だと思う。
あくまで私の意見ですが、
悩むことは考えることの一種。
構造的には、"考える"という大きなくくりの中に、"悩む"っていう行為が含まれると思う。
悩むとは、本質とズレたことを考えること。
例えば、
あなたが歌手になってみんなを笑顔にしたい!と思ったとしよう(あくまで仮定です)。
あなたが、
でも、みんなの前でやるのは恥ずかしいし、私は歌下手だし、でもやりたいし。どーしよっ!
って考えるのは悩み。
歌手になるっていう目的とは直接関係ないことを考えてしまっている。
逆にあなたが、
歌手になるためには、まず歌がうまくないとダメだな。そのために毎日トレーニングするか。それと、歌手になった人はどういう風にして歌手になったのだろうか。
と考えることは、悩みじゃないと思う。
歌手になるという目的を達成するために考えている。
別の例えだと、
研究や仕事をやっていく中で、ある課題に直面し、中々前に進まないことがあったとする。
それに対して、
なんでこんなに時間かけているのに進まないんだ
こんなのも出来ないなんて俺ってダメだなあ。
と考えるのは悩み。
そういうことを考えていても、答えは出ない。
苛立ちとか、自信喪失とか別の言い方で表せるかもしれないけど、私はこれらを全てを悩みとして捉える。
逆に、
論理的にはじめから追ってみるか
とか
定量的に議論してみるか
とか
似てる事例を探してみるか
とか
目的を達成するためには、直接その課題を解決出来なくても、別のやり方でなんとかなるのではないか。
と考えることは悩みじゃない。
・
・
人が人である以上、考えられる範囲には限界がある。
だったら、極力悩むことを少なくして、考える時間を増やそう。
ちゃんと考えているときよりも、悩んでいるときの方が100倍疲れると私は感じる。
いけねっ、俺今悩んでたわ。
悩んでいることに気が付くことが、その一歩かなとおもう。
終わり。
川崎病の親の会にて
自転車で川崎から日光まで行ったときのこと。
普段自転車なんか滅多に乗らないのに、その頃の私に怖いものなんか無かった。
日光って近そうだから、余裕だろ。
そう思って友達を誘い、朝の6時に家を出発。
その日の夜にペンションを予約していた。
1日で行こうと思ったのが間違いだった。
雨降りしきる中、山道をかけのぼる。
残り5分の2程でダウン。
当たりは真っ暗だった。
もう走れない。
なんで1日で行こうとしたんだろ。
もう引き返せない。
進むしかない。
けど動けない。
・
・
そんなとき、ちょっと先の小さなコンビニに入った。
そこの店主はとてもやさしかった。
自転車で旅をしていると伝えると、お店の品全品を半額にしてくれ、おまけに店頭にあった大福をくれた。
「お前ら頑張れよー!」
その一言で元気がでた。
よしっ!
雨降りしきる中、山の中、真っ暗闇の中
友達と大声で叫びながら
必死に自転車をこいだあのときを
私は一生忘れないだろう。
夜11時、宿についた。
私と友達は倒れこむように眠りについた。
川崎病の親の会にて
昨日、「川崎病の親の会」主催の講演会に参加した。
北里大学の先崎先生による、川崎病についてのおさらいと最新の研究情報。
昔に比べると、川崎病は広く知られるようになり、お医者さんの素早い対応により冠動脈後遺症を発症する割合が今後少なくなるだろうというのは喜ばしいことであった。
また、カテーテルなどの患者に負担のかかる検査をなるべく行わず、基本はMRIやCTで診るというお医者さんが増えてきているというのも、私にとっては嬉しい限りである。
医療関係に関する情報は、どうしても慎重になってしまうので、また後日川崎病に関する知識や、体験談などを発信出来たらと思っている。
・
・
最後に、先崎先生というお医者さんに質問したことが一つある。それは、
「今までの経験の中で医者として限界を感じたことはあるか。またそれはどういう時か。そして、こういうことが出来れば良いなと思った瞬間はあるか」
というもの。
我ながら、パッとは答えられないであろう難しい質問をしてしまったと思ったが、どうしてもそれが聞きたかったのだ。
先崎先生が仰っていたのは、
「医者として出来ないなあと感じたことは山ほどある。例えば、自分の患者さんが中々本音を言わないのに、看護師さんには正直に症状について伝えているケースも結構ある。患者さんの病気を包括的に治療するためには、医療、福祉、大学、教育など色々な分野を組み合わせていくことが必要になってくるんじゃないかと思う。」
というものであった。
なるほど。
今まで多くの患者さんを診てきたお医者さんの意見は説得力がある。
そして私が思っていたことと、共感するところがある。
ただ、そこに多くの課題が潜んでいることは知っているし、むしろまだ気づいていないことの方が多いだろう。
とにかく今は、自分以外の人の声を聞くこと。
それを意識してやっていきたい。
終わり。
台風日記
トュルルル、トュルルル
目覚ましが鳴り、目が覚める。
台風19号が通り過ぎ、部屋には暖かな日差しが差し込んでいる。
昨日の夜の騒がしさが嘘のように、やさしくて穏やかな気配を感じる。
そうだ、今日は午前中、友人と会う約束があったんだ。
すぐに、スマホで電車の運行状況をチェックすると、まだ動いてないようだ。
プルルル・プルルル
電話がなる。
友人からだ。
お互いの予定を確認し、また今度にしようということになった。
その友人と久々に会うのを楽しみにしていたから、昨日のことなど何事もなかったかのように、堂々と輝く太陽が少し恨めしく思えた。
外に出ると、台風の残した跡がはっきりと見てとれる。
道路は木の葉が散乱しているし、誰のか分からないちりとりが無造作に置いてある。
家の周りを眺めてみると、ふと一つの植物が目に入る。
”沈丁花”だ。
これは、私が小学校入学時に記念樹としてもらったもの。
しばらく見ないうちに、結構大きくなったなあ。
”沈丁花”という植物は、一年中葉を茂らせることから、その花言葉は
永遠、不滅。
その言葉通り、何の手入れもしていないのに、私の成長に合わせてスクスクと育っているようだ。
台風によって、昨日楽しみにしていた予定も、今日の予定も流れてしまったけど、
まっいっか、そういう日があっても
そう思った。
今日はこれで、終わり。
病気に子供にとって信頼できるお医者さんとは
みなさんが、「生きてるっ」て実感するときはどんなときですか?
好きなことをしているとき?
忙しく働いているとき?
人からありがとうって言われたとき?
大きな課題に直面して苦しんでいるとき?
好きな人とデートしているとき?
悩んでいるとき?
物事が狙い通りにいってるとき?
私は、理由は分からないけど、土を触ったときに自然と「生きてるっ」と実感します。
何か生命を感じるというか、心地よい気持ちになる。
最近は、普通に生活していると、自然を感じる機会が本当に少ないと感じる。
それはそれで悪くなくて、自分の夢、目標に向かって全力でもがいて、面白い人たちと出会うことが好きだけれど、
でもやっぱり、自然がある場所に行って、風に吹かれて、空を見上げて、大地からエネルギーをもらっているときが、一番生き生きしているかもしれない。
・
・
<病気の子供にとって信頼できるお医者さんとは>
まだ色々な病気の子供を見て、その中で感じたことは言えませんが、今のうちに、忘れないうちに、自分の体験から感じたことを残しておこうと思います。
病気によって入院することは、小さい子供にとってはもちろん辛いことです。
その本当の気持ちを、正しく感じ取って、理解して、良いアドバイスをしてあげることなんて、とっても難しいことなんじゃないかと感じます。
なぜなら、子供は我慢してしまうからです。少なくとも私はそうでした。
本当のことは、面と向かっては言わず、ふとしたときにチラッと言う
そんな感じではないでしょうか。
例えば、
「痛い?」
とお医者さんや親に聞かれても、「痛いっていったら、何かまた治療を始めるぞ」と言い出すのではないかと思ってしまい、
「あんまり痛くない」と答えてしまうのです。
けど、そうやって隠すのは罪悪感があり、時間が経って看護師さんとかに
「実は結構痛いんだよね」
と吐き出してしまうときが結構ありました。
子供にとって、入院をすること、治療によって痛い思いをすることっていうのは大きな不安です。
そして、子供は人を見て、人を選びます。
この人に言ったら、大袈裟に対処するとか言いそうだなとか。
そんな不安を払拭し、安心して病気の子供が自分の症状について伝えるためには、やっぱり結局信頼関係が大事だと思います。
僕がこの人は凄いなあと思ったお医者さんは
・人の意見に左右されない人
・小さなことは気にしない人
・自分のことを理解しようとしてくれる人
・病気によって生じる問題に対して、自分の背景を理解した上で、一緒に考えてくれる人
これって別にお医者さんだからというより、人として尊敬できる人の特徴かもしれません。
多分、大人は、そのお医者さんの人間性よりもその人の知識、腕を見て、信頼できるか判断すると思います。
対して子供は、お医者さんとしての腕よりも、その人の人間性を重視します。
自分の主治医は、注射が得意では無かったようで、しょっちゅう失敗し、何度も痛い思いをした記憶がありますが、
それでも、その人に対して全く不信感を覚えたことはありませんでした。
それは、その人の人間性をとても尊敬していたからだと思います。
そんな尊敬できる人には、正直に話すことができるのかもしれません。
当たり前なことかもしれないけど、大事なこと。
改めて考えてみました。
終わり。
病院の壁は厚い
フィジーに留学に行ったときのこと。
最初は、一歳年下のホームステイ先のホストシスターとあまり仲良くなれなかった。
私がリビングに行くと、その子は自分の部屋に帰ってしまう。
あるとき、ホストシスターが私のためにカレーを作ってくれた。
そのカレーは、涙が出そうなくらい辛かった。
けど、作ってくれたことがとても嬉しかったので、涙を堪えて思いきり笑顔で、
「凄い美味しいよ!ありがとう!」
と言った。
次の日もまたカレーが出た。
そのカレーは昨日よりももっと辛かった。
・
・
〜病院の壁〜
現在、VRで小児患者に夢を提供するというコンセプトのもと、私なりに色々と動いているところです。
今日はその中で感じたことを一つ、ご紹介します。
それは、病院の壁は厚いということ。
いくつもの病院に、私の活動を伝え、協力して下さらないかと伝えてきました。
しかし、気持ちはあれど、医療関係者ではないことがネックになり、中々受け入れてくれるところはありませんでした。
「うちにはそんな前例はない」
「そういった取り組みは受け入れていない」
「残念ながら、ご要望にお答えすることはできません」
なるほど、これが現実なんだなって思いました。
ほんのちょーっとだけ、自身が持てなくなりましたが、
でもそれは当然なのかもしれません。
VRを病院に取り入れることで、一体何が得られるのか、病院側のメリットはあるのか、患者さんにとってどんな良い影響があるのかがまだ説明できないからです。
いくら必死に説明しても、それはただの空想論に過ぎないのです。
その体験価値というのは、沢山の事例の元に成り立つものですから、一歩目を踏み出すことが一番難しいと思います。
今は、自分の体験で感じたことを信じて、笑顔になる人が少しでも増えるはずだということを信じて、前に進んで行くのみです。
届けたいのは、病気の患者さんに対して。
その方々の意見が一番大切です。
・
・
組織化された病院に対して、外からのアプローチは壁が高いということに改めて気付かされました。
やはり最初は、中から行くしかないのでしょう。
医学部の友人に思いを伝えると話は急展開。
嬉しいことに、病院に訪問させて頂けることになりました。
本当は、明日の土曜日に行く予定だったのですが、台風で延期になってしまいました。
残念です。
また今度報告します。
終わり。
共感する人との出会い
昨日、ノーベル化学賞が発表された。
リチウムイオン電池で功績をあげた吉野彰さん。
一回で良いから、吉野さんの頭の中を覗いてみたいと思う。
何が見えるのか。
自分は、4年間化学を勉強して、研究も1年間くらいやらせて頂いている。
けど、全然上手くいかなくて、最近は自分の研究と友達になれていないと感じる。
仲良くしようとすればするほど、離れていってしまうような。
気持ちが空回りしているような。
自分の力の無さを感じる今日この頃。
吉野さんが言っていたように、柔軟な考え方を持ち、粘り強く向き合っていけば
何か見えるものがあるのだろうか。
限られた時間。卒業するまであと、4ヵ月ちょっと。
後悔しないように、全力で駆け抜けてみますか!
・
・
・
~共感する人との出会い~
さて1年以上前のこと、
進路決めの際、私は小児患者にVRで夢を提供することを本気で願った。
そこで、大学は何かの傍らでそれをやるのではなく、勉強しながらその活動をしたいと
思い、目標とする大学を決めた。
今年の7月、
編入試験が迫った中、息抜きで友達と話していたときに、あるチラシが目にとまった。
それは、とあるビジネスコンテストの応募チラシ。
忙しかったけど、ここで自分の考えを発表してみたいと、素直に思った。
それによって、
電車がホームドアと少しズレたときに、微調整するために移動する距離
くらいは前に進めば良いなと。
・
・
大変だったけど、大学も無事受かって、ホッと一息、つく暇もなくビジコンに参加することになった。
自分の、VRを病院に適応するというビジョンは、お金のことは全く考えておらず、ビジネスではないものであった
にもかかわらず、エントリー、1次、2次審査を通過することが出来て、そこでまた新しく世界が広がっていった。
そのご縁で出会った人がいる。
その人は、アートで医療を変えたいという。
衝撃だった。
太陽よりも熱くて眩しいんじゃないかっていう心で、本気で病院の景色を変えたいと言う。
病気の患者さんの心を楽しくしたいという点で共感した嬉しさと、そんな人が自分以外にもいるんだ!っていう嬉しさがあった。
自分が入院していたときに、病院でこういった、ホスピタルアートの取り組みをしてくれる人がいたら、
そのときの自分にとっての病院のイメージは、もっと明るいものになっていたのかもしれないなと思った。
もうすでに、生きていく上で大切なことを、その人から沢山学んだ気がする。
・
・
・
実際、人はみんな考え方は違うし、人によって求めているものも違う。
だから、今はとにかく自分以外の当事者へのヒアリングを大切にする。
どんな方法、どんな形でも良いから、病気というものが暗いものじゃなくて、
少しでも良いから明るいものになるように。
終わり。
我慢すること
私が、フィジーという国に留学に行っていたとき、
ホームステイ先で、夕食にマンゴーの種みたいなものが出てきました。
一口かじるとめちゃくちゃ硬い。
それはもう歯が折れそうなくらい。
文化の違いを感じつつ、でも出された物は食べなきゃと思い、会話をしながら一生懸命かじっていました。
半分くらい食べたところで、私は言いました。
「とてもユニークな味ですね。」
するとホストマザーはにやにやしながらこう答えました。
「それは普通食べないわよ。」
早く言ってよ!!
・
・
〜絶食していたときのお話〜
今日は、私が治療のため、12日間絶食していたときのことを話そうと思います。
小学生の頃、腹膜炎にかかり入院しました。
その治療のため、まず胃の中を空にする必要があるらしく、点滴で栄養補給をしながら何も食べてはいけない期間が12日間続きました。
許されていたのは、水となぜか黒飴だけ。
そのときの私にとっては、黒飴がまるで神様のような存在でした。
今でも黒飴と聞くと、神々しい響きがします。
とにかくお腹が空いて、お腹と背中がくっついてしまうのではないかと本気で思いました。
「おなかがへるうた」という歌をみなさんご存知でしょうか。
その歌詞の中に
おなかと せなかが くっつくぞ
というフレーズがあります。
このフレーズが、当時の私の頭の中で、何回流れていたか分かりません。
空腹に耐えるために、そのときやっていたことがあります。
それは、食べたいものをひたすらノートに書くことです。
メロン、いちご、寿司、ラーメンなど、退院したら食べたい物をひたすら考えて、そして自分が食べているところを想像していました。
それが、とても楽しかったのを覚えています。
これはどんな味だっただろう、あれを食べたらめっちゃ美味しいだろうなー
と考えを巡らせるだけで、空腹で辛いんだけど、なんかワクワクした気持ちがあったのを覚えています。
人って、生きてる以上、我慢しないといけないときはたくさんありますよね?
例えば、研究や仕事が忙しくて遊びにいきたいのを我慢するとか。
でもそれって、見方を変えるとちょっと楽しい。
だって、ワクワクできるから。
やってることが一息ついたら、誰とどんなことして遊ぼうかなと計画立てるのも楽しいし、よっしゃー頑張ろう!って思うことが出来る。
我慢しなくていいときは、思いっきり楽しむ!
けど、どうしてもやらないといけないことがあるとき、我慢しないといけないことがあるときには、
自分で小さな夢を作る。そしたら自然とワクワクしてくる。
何で食べたい物が食べられないんだとか、何でこんなことやらないといけないんだっていう後ろ向きな考え方じゃなくて
我慢することも楽しむこと
ワクワクした前向きな姿勢のまま、日々を過ごせたらなーって思います。
うん。終わり。